HOME > officee magazine > 編集部コラム > オフィス移転遍歴から見る株式会社ミクシィの歴史とは
IT・Web業界に特化した求人サイト『Find Job!』や、国内大手のSNS『mixi』、大人気スマートフォンゲームアプリ『モンスターストライク』を手がけ、インターネットの新しい時代を築いてきた株式会社ミクシィ。近年では成長企業の買収・子会社化を積極的に行い、新規事業拡大にも力を入れています。ビジネスとカルチャーの発信地・渋谷で、株式会社ミクシィはどのような歴史を刻んできたのでしょうか。成長の舞台となった過去のオフィスをたどり、その歩みを振り返ってみましょう。(公開日:2017/05/16)
株式会社ミクシィの起源は、笠原健治氏が求人サイト『Find Job!』を立ち上げた1997年まで遡ります。当時笠原氏は大学在学中で、マンションの一室からのスタート。法人化するまでは、個人事業という形で運営していました。徐々にサービスを拡大させていくなか、株式会社ネットエイジ(現ユナイテッド株式会社)代表・西川潔氏との出会いに影響を受け、1999年6月に有限会社イー・マーキュリーを設立します。最初に入居したオフィスはネットエイジが借りていた物件の間借りで、神泉駅のすぐ近くにある塩入小路ビル2。当時のオフィスには、同じく間借りして事業を運営している人や、インターンでビジネスを学ぶ学生が沢山集まっていました。笠原氏の他にも、グリー株式会社代表・田中良和氏や、株式会社VOYAGE GROUP代表・宇佐美進典氏らを輩出することになります。
1999年11月には、堀江貴文氏率いる株式会社オン・ザ・エッヂ(のちの株式会社ライブドア)と共同で日本初のオープン・ライセンス型オークションサイト『eHammer(イー・ハマー)』をリリースしました。
法人化から1年が過ぎた頃、間借りしていたネットエイジのオフィスを離れ、同じく神泉駅付近の塙ビルに移転します。当時の従業員数はまだ5名ほどでした。時を同じくして、『Find Job!』の登録企業数が3,000社を突破。サービス開始から約3年で、気がつけばインターネット上の総合求人サイトとしては日本最大級になっていました。2000年10月には、有限会社から株式会社へと商号を変更。さらに、2001年にはニュースリリース配信代行事業として『@Press』の運用を開始します。
従業員数が10名ほどになった株式会社イー・マーキュリーは、2002年に道玄坂セピアビルへ移転します。『Find Job!』の成長に手応えを感じていたこの頃、笠原氏は会社を成長させるため、新たな事業を模索していました。そんな中、米国発のコミュニケーションサービス『Friendstar』を知り、SNSビジネスに着手することを決心します。当時の日本ではまだSNSが身近なものではなかったため、社内から不安の声も多くあがったそうです。しかし、笠原氏の情熱は従業員の心を強く動かします。こうして2004年、ついにソーシャルネットワーキングサイト『mixi』が誕生したのでした。
『mixi』のリリースから半年後の2004年、同社は渋谷マークシティ11階に移転。翌2005年には同ビル内の19階へと移ります。2000年の竣工時から渋谷マークシティに入居していた株式会社サイバーエージェントの藤田氏も、当時の『mixi』の爆発的広まりには驚きを隠せなかったそう。2006年には社名を「株式会社ミクシィ」へと変更し、マザーズ上場を果たします。渋谷マークシティはビットバレーのITベンチャーにとって憧れの地であり、オフィスが会社に更なる飛躍をもたらした、と言っても過言ではないでしょう。
急激な事業拡大と人員増加によって、渋谷マークシティのオフィスはすぐ手狭に。そこで2006年、設立当時から運営していた『Find Job!』の事業部を切り離し、分室として新たに賃貸した渋谷スクエアBに移します。
分室を出してまだ間もない2007年8月、オフィスを集約して業務効率を高めるため、新築の住友不動産原宿ビルに移転。1フロア200坪のオフィスを5フロア賃貸しました。ミクシィが渋谷以外のエリアでオフィスを構えたのは、この住友不動産原宿ビルのみ。移転当時、渋谷ではまとまった坪数を賃貸できる候補物件がなかなか見つからなかったようです。
『mixi』が日本国内で急速に浸透していったまさにそのころ、FacebookやTwitterなど海外発の新たなサービスが日本に上陸。こうしてSNSの新しい時代が幕を開け、株式会社ミクシィは激動の渦に巻き込まれていくことになるのです。
それまで招待制だった『mixi』を登録制に変更したり、ゲームアプリの強化やスマートフォンユーザー増加に伴うリニューアルを行うなどして、サービスを改革していた株式会社ミクシィ。2011年には新築の住友不動産渋谷ファーストタワーにオフィスを移転し、渋谷へ戻ってきます。この頃、それまで社内で運用していた『Find Job!』を子会社化。同年9月には、サービス開発を強化するため、高い技術力を誇る株式会社ネイキッドテクノロジーを買収します。
海外SNSの伸びが次第に加速度を増していき、スマートフォンへの急激なシフトが進むなか、2013年には朝倉祐介氏(ネイキッドテクノロジー創業者)が株式会社ミクシィの代表に就任。経営トップの若返りとともに、経営方針を大胆に転換します。既存事業の収益改善だけでなく、新規事業の開発や、外部企業の買収などを積極的に行っていきました。そんな中、2013年9月にリリースしたスマートフォンゲームアプリ『モンスターストライク』が国内で大ヒット。自らが生み出した上昇気流に乗り、株式会社ミクシィは急激に成長していくことになるのです。
株式会社ミクシィはその後、株式会社Diverseや株式会社コンフィアンザ、株式会社ミューズコー、株式会社フンザ(チケットキャンプ運営)などを次々と買収。人員増加により、本社周辺に分室を増設していきます。2014年に代表に就任した森田仁基氏はコミュニケーションを活性化させるオフィスの設計をはじめ、組織の強化も積極的に取り組んできました。
現在、本社の住友不動産渋谷ファーストタワーに加え、2つの分室を構える株式会社ミクシィ。近年のオフィス戦略からは、企業買収→事業拡大→人員増加というストーリーが伺えます。各サービスの事業部が管理機能と離れないよう、本社周辺に拠点を固めていることも、業務効率を意識した策と言えるでしょう。
数十年に一度の大規模な再開発で、大型物件の竣工が相次ぎ、徐々に街並みを変えつつある渋谷。世界を牽引するクリエイティブシティの中心で、株式会社ミクシィはどのようなオフィス戦略を展開していくのでしょうか。今後もその動向から目が離せません。
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